『自己正当化という病』レビュー|「だって私は悪くない」他責が強く出る人との距離の取り方

レビュー

題名:
『自己正当化という病』レビュー|「だって私は悪くない」に疲れた人へ

出典元:
書籍『自己正当化という病』(片田珠美)

土屋 明のワンポイント:
この本は、こんな時に自分が壊れない距離の取り方を教えてくれる一冊です。
・職場の上司や同僚で「話が通じない人」に疲れたとき
・ニュースを見て「話が通じない感じ」に疲れたとき

ニュースを見ていると、ときどき、心の中に小さな引っかかりが残ります。
怒りというより、もっと手前の、言葉にならない感じ。

「どうしてこの人は、自分が悪いと思えないんだろう」
――そんな“モヤモヤ”する感情です。

たとえば、責任が問われる場面でも平然と、
「だって私は悪くない」と言えてしまうような無責任さ。
こちらが正論を積み上げれば積み上げるほど、話がほどけるどころか、自分のほうが疲れていく
そんな経験がある人ほど、この本のページは、そっと手を差し伸べてくれると思います。

あなたの周りにも、いませんか。
「だって私は悪くない」と自己正当化する人が。

その言葉が強く出るとき、たとえば
「問題や失敗の原因を、自分以外の他者や環境のせいにする」
――いわゆる他責が重なって見えることもあります。
(もちろん、いつでも誰でも起こり得る“状態”として、です。)

  1. ニュースで感じる「話が通じない」という違和感
  2. この本が扱っているのは「性格」ではなく「状態」 ――「他責」という言葉で片づけられない理由
    1. 世間がつい貼ってしまう「性格」のラベル
    2. 本書が示すのは「そうならざるを得ない状態」
    3. 「話が通じない」のではなく「通じない状態」
  3. 強い自己愛は「攻撃」ではなく「防衛」から始まる
    1. 一般にイメージされがちな「自己愛の強い人」
    2. 本書が描く自己愛は「壊れないための防衛」
    3. なぜ正論が「攻撃」になってしまうのか
  4. 自己正当化が表に出る“かたち”は一つじゃない
  5. 「自己正当化という病」が増えやすい社会の空気
    1. 「自分は悪くない」と言わざるを得ない空気
    2. この社会の歪みを、一般の人が背負わなくていい理由
  6. 人は変えられない。だから逃げていい ――「距離の取り方」という、もう一つの対処法
    1. なぜ、どれだけ丁寧に話しても届かないのか
    2. この章が言っているのは「何もしないこと」ではない
    3. 「逃げる」は弱さではなく、知性の選択
  7. 対処法とは「戦わない力」を身につけること
  8. この本は、誰かを裁くための本ではない
  9. よくある疑問(FAQ)
    1. Q1. 「自己正当化という病」って、人を決めつけるための言葉ですか?
    2. Q2. この本は、問題のある人を見抜くためのマニュアルですか?
    3. Q3. 読んでいて「これ、自分のことかも」と思ったらどうすればいいですか?
    4. Q4. 「逃げる」「距離を取る」って、無責任ではありませんか?
    5. Q5. ニュースに出てくる人たち全員が、この「病」だと考えるべきですか?
    6. Q6. この本は、どんな人に向いていますか?
  10. 出典元・参考資料
    1. ■ 書籍情報
    2. ■ 著者プロフィール・専門領域
    3. ■ 心理学的背景(防衛機制・合理化)
    4. ■ 社会心理学的背景
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ニュースで感じる「話が通じない」という違和感

この本のレビューを書こうと思ったきっかけは、
「誰が悪いか」を決めたいからではありません。

ニュースを見ていると、ときどき感じる、
話がまったく噛み合わない感じ
それが、今回の出発点です。

たとえば、
社会的な影響が大きい出来事が起きたとき。
責任が問われる場面で、当事者が迷いなくこう言い切る。

「だって、わたしは悪くない」

その言葉自体に、強い怒りを覚えるというより、
僕の場合は、もっと別の感覚が残りました。

「ここから先、何を言っても届かない気がする」
「正論を重ねても、たぶん自分が疲れるだけだ」

米騒動をめぐって、政治家から無責任に聞こえる発言が出たとき。
匿名・流動型犯罪グループ(以後、トクリュウ)の実行役に流されていく若者。
そして、その背後で指示を出す側の人間。

立場も事件の重さもまったく違います。
それでも、どこか共通する“無責任さ”を感じます。

それは、
自分が悪いと認める余地が、最初から存在しないような感触です。

 

まみ
まみ

「怒るっていうより、“あ、もうこれ以上は無理だな”って、心が引いちゃう感じがする」

うん、その感じ方は自然だと思うよ。
この場合は、むきになって怒らなくていいし、
がんばって分かり合おうとしなくてもいいと思うんだ。

自己正当化という病は、
この違和感を「気のせい」や「甘え」で片づけません。

むしろ、こう問い直します。
「それは、相手の性格ではなく、“状態”の問題ではないか」と。

僕はこの章で、
ニュースで感じる疲れは、あなたの心が弱いからではない
という点だけ、まず共有したいと思いました。

この本が扱っているのは「性格」ではなく「状態」 ――「他責」という言葉で片づけられない理由

ここで、もう一度だけ立ち止まって整理します。
この本が一貫して扱っているのは、「性格の善し悪し」ではありません。

第1章・第2章で繰り返し語られるのは、
「自分が悪いとは思えない状態」についてです。

世間がつい貼ってしまう「性格」のラベル

僕たちはつい、こう言って片づけてしまいがちです。

  • 「反省しない人」
  • 「謝れない人」
  • 「図太い人」

でも本書は、そこから始めません。
いきなり評価や断定をせず、まず「いま、その人の中で何が起きているか」を見ようとします。

本書が示すのは「そうならざるを得ない状態」

本書は、その状態を次のように整理しています。

  • 自分が悪いと認めた瞬間、心が崩れてしまう
  • だから、その瞬間を避けるために思考が固まる
  • 結果として、「自分は悪くない」という結論だけが残る

ここで大事なのは、
それが意識的な「開き直り」とは限らないという点です。

彼らにとっては、
そう考えるしか心を保つ方法が残っていない状況なのだと、本書は分析しています。

まみ
まみ
「それって……わざとじゃない場合もある、ってこと?」

うん、その受け取り方でいいと思うよ。
そして、無理に納得しなくてもいいところです。

「話が通じない」のではなく「通じない状態」

僕がこの章でいちばん感銘を受けたのは、
この見方でした。

  • 「話が通じない人がいる」のではなく、
  • 「話が通じない状態に陥っている人がいる」

この視点に立って彼らを見直すと、
少しだけ僕の気持ちが楽になったんです。

なぜなら、つい自分の側で背負っていた

  • 「自分の説明が足りないからだ」
  • 「もっと上手く説得しなきゃ」

という責め方を、手放しやすくなったからです。

彼らを理解することと、彼らに近づくことは、同じではありません。
僕はこの章で、“分かったとしても、距離を取っていい”という理由が、
自分の中にできたことを嬉しく感じました。

この先の章では、
なぜその状態が生まれるのか、
そして、他人から受ける正論がなぜ逆効果になり得るのかが、
もう少し具体的に描かれていきます。

強い自己愛は「攻撃」ではなく「防衛」から始まる

第3章では、彼らの「強い自己愛」について語られます。
ただし、ここで描かれる自己愛は、世間でよく言われるイメージとは、かなり違いました。

一般にイメージされがちな「自己愛の強い人」

自己愛が強い人と聞くと、
次のような姿を思い浮かべる人も多いと思います。

  • 自信満々で、他人を見下し、
  • 自分が正しいと押し通す

いわゆる「攻撃的な人」「傲慢な人」というイメージです。

でも本書が描くのは、
攻撃性としての自己愛ではありません。

本書が描く自己愛は「壊れないための防衛」

むしろそれは、
これ以上、自分が壊れないための防衛として使われている自己愛でした。

本書では、その内側にある感覚を、こんなふうに整理しています。

  • 失敗を認めたら、立ち直れない
  • 自分が悪いと受け入れた瞬間、価値が消えてしまう
  • だから、何があっても「自分は悪くない」に戻る

そう考えると、強い自己正当化は、
誰かを攻撃するために始まったものではなく、
自分を守るための最後の柵だったことが見えてきます。

まみ
まみ
「守るためにやってることが、周りを傷つけちゃうって……なんだか切ないね」

僕も、その感覚は自然だと思いました。
だからと言って、この本は
彼らのことを「かわいそうだから理解しよう」とも、
「許すべきだ」とも言っていません。

なぜ正論が「攻撃」になってしまうのか

本書で語られているのは、
他者から受けた正論が、なぜ“攻撃”として受け取られてしまうのか
という理由です。

彼らにとって、
正論とは「現実を突きつける言葉」。
それは理解のための言葉ではなく、
存在そのものを脅かす刺激になってしまいます。

だから、説明すればするほど、
論理を積み上げれば積み上げるほど、
相手の自己正当化は、より強くなっていく。

ここで大事なのは、
彼らの「強い自己愛」が

  • 自己防衛のためのものであり、
  • 他者を攻撃するためのものではないと理解できたからといって、

彼らに近づく必要はないという点です。

彼らの内側で何が起きているかを知ることと、
彼らの人生や行動に付き合うことは、同じではありません。

僕はこの章で、
自己正当化は、悪意よりも先に防衛として始まっていること。
そして、「それを分かったうえで、あえて距離を取る」
という選択が、自分にとって最善なのではないかと感じました。

次の章では、
この自己正当化が社会の中でどんな形で表に出るのか、
具体的な事例に軽く触れながら考えていきます。

自己正当化が表に出る“かたち”は一つじゃない

第4章では、
自己正当化が極端なかたちで表に出た一例として、
社会を大きく揺るがせた事件が取り上げられています。

本書がここでやっているのは、
事件の是非を論じることでも、
思想や動機を断定することでもありません。

焦点はただ一つ、
「自分が悪いとは思えない状態」が、
社会との接点をどう失っていくか
、という点です。

そして、この章を読んで僕はこういう気づきを得ました。

この事例は、特別な誰かの話ではない。

たとえば、
米騒動で見られた政治家の発言。
あるいは、トクリュウの実行役に流されていく若者。
同時に、その背後で指示を出す側の人間。

事件の重さも、立場も、責任の度合いも違います。
それでも、構造として共通している部分がある。

それは、
「自分は悪くない」という一点で、
他者や社会と対話できなくなっている状態
です。

まみ
まみ

「事件が違っても、無責任な考え方が似てるってことか……」

うん、その受け取り方でいいと思います。

ここで大事なのは、
各事例を「同一視すること」でも
「危険人物を探し出すこと」でもありません。

自己正当化の“強度”を見る視点です。

  • どんな話題でも責任の話になると、必ず話がすり替わる
  • 事実よりも感情が最優先される
  • 対話ではなく、相手を黙らせる方向に進む

こうした兆しが強く出ているとき、
それはもう「議論」ができる段階ではないのかもしれない。

「自己正当化という病」が増えやすい社会の空気

ここで、個人の問題から少しだけ視野を広げてみます。
第5章で語られているのは、
「なぜ、こうした状態が社会に広がりやすいのか」という背景です。

この本は、
自己正当化を特定の人の資質に押しつけていません。

「自分は悪くない」と言わざるを得ない空気

むしろ本書は、
私たちが暮らしている現代社会そのものに目を向けます。

「自分は悪くない」と言わざるを得ない空気が、
社会の中で生まれている側面がある、と指摘するのです。

たとえば、

  • 失敗がすぐに切り取られ、拡散される環境
  • 一度のミスで、評価や居場所が失われる感覚
  • SNSで、常に誰かと比べられる状況

こうした空気の中では、
「間違えました」と言うこと自体が、
とても大きなリスクになってしまいます。

だから人は、
反省よりも先に、
自分を守る言葉を探してしまう。

まみ
まみ
「ちゃんと謝れない人が増えた、っていうより…謝れない空気があるのかも」

うん、その視点はとても大事だと思いました。
誰かを責める前に、
この空気を前提として知っておく必要がある。

この社会の歪みを、一般の人が背負わなくていい理由

この章を読むと、
自己正当化という病は、
誰か個人の問題ではなく、社会の中で“起こり得る状態”
だということが、よりはっきりしてきます。

そして同時に、僕はこうも感じました。

だからこそ、一般の人が背負い込む必要はない。

社会が生んだ歪みを、
一人ひとりが正論で修正しようとすると、
たいていの場合、先に壊れるのは自分の心です。

この章は、
「社会がこうだから仕方ない」と諦めるための章ではありません。
“だから、あなたは無理をしなくていい”と線を引くための章だと、僕は受け取りました。

次の章では、
この本の中でも、とてもはっきり書かれている一文――
「人を変えようとするのは困難だ」
というメッセージについて触れていきます。

僕はこの章で、
自己正当化は、個人だけの問題ではない
という点だけを、持ち帰ってもらえたら十分だと思いました。

人は変えられない。だから逃げていい ――「距離の取り方」という、もう一つの対処法

ここが、この本の中で、
いちばん大事な章だと僕は思っています。

第6章のタイトルは、
「自分が悪いとは思わない人を変えるのは困難」

ここで著者は、とてもはっきりした線を引きます。


自己正当化が強く働いている状態の人を、
周囲が変えようとするのは、ほとんどの場合うまくいかない。

なぜ、どれだけ丁寧に話しても届かないのか

理由は、ここまで読んできた内容を踏まえると、
決して難しくありません。

  • 自分が悪いと認めること自体が、心の崩壊につながる
  • だから、外からの指摘はすべて「攻撃」として処理される
  • 正論や説得は、内省ではなく自己正当化を強めてしまう

つまり、
こちらがどれだけ丁寧に話しても、
構造的に、話が届かない状態にあるということです。

まみ
まみ
「じゃあ…もう、何もできないってこと?」

うん、ここは大事なところだから、
言葉を選んで説明します。

この章が言っているのは「何もしないこと」ではない

この章が言っているのは、
「何もしない方がいい」という意味ではありません。

「変える役割を、自分が背負わなくていい」
ということです。

そして著者は、
はっきりとこう書いています。

逃げなさい。距離を取りなさい。

これは、
敗北宣言でも、冷たさでもありません。

自分が壊れないための判断を、
専門家の立場から、
きちんと肯定している言葉です。

まみ
まみ
「“逃げていい”って、ちゃんと書いてあると…少しホッとする」

僕も、その安心感はとても大切だと思いました。
無責任なのではなく、
役割を守るための線引きなんだと感じたからです。

「逃げる」は弱さではなく、知性の選択

この章を読むと、
これまで感じてきた疲れが、
少しだけ言葉になります。

  • 分からせられなかった自分が悪いわけじゃない
  • 頑張りが足りなかったわけでもない

ただ、
立ち入ってはいけない場所があった
それだけだった。

僕はこの章で、
“逃げる”という選択肢は、弱さではなく知性だ
ということだけ、受け取ってもらえたら十分だと思いました。

対処法とは「戦わない力」を身につけること

終章で語られる対処法は、
意外なほど静かで、現実的です。

ここで著者が示しているのは、
相手を言い負かす技術でも、
巧みに論破する方法でもありません。

提示される最善策は、
とてもシンプルです。

距離を取ること。

そして、そのために必要なのは、
誰かを裁く目ではなく、
自分の消耗に気づく感覚だと書かれています。

たとえば、

  • 話すたびに、こちらだけが疲れていく
  • 説明しても、論点が毎回すり替わる
  • 事実よりも感情が常に優先される

こうした兆候が重なったとき、
それは「努力が足りないサイン」ではありません。

立ち入らない方がいい状態に近づいている合図です。

まみ
まみ

「見抜くっていうより…“察する”って感じなのかも」

うん、その表現はとても近いと思います。
この本が求めている対処法は、
相手を分類することではなく、
自分を守る判断力を持つことです。

だから、ここで言う対処法は、
戦うことでも、勝つことでもありません。

戦わないことを選べる力。
それを、ちゃんと肯定してくれる。

僕はこの終章を読んで、
この本は「社会を変える本」ではなく、
社会の中で自分が壊れずに生き残るための本なのだと感じました。

怒らなくていい。
分からせなくていい。
ただ、近づかないという選択がある。

”戦わない力を身につけること”
という対処法を知れたことが、自分にとって大きな成果だったと思いました。

この本は、誰かを裁くための本ではない

ここまで読んできて、
もし少しでも肩の力が抜けたなら、
その感覚は、この本が意図しているものだと僕は思います。

『自己正当化という病』は、
誰かを診断するための本でも、
問題のある人を見抜いて叩くための本でもありません。

もしあなたが今、
ニュースや身近な出来事に触れる中で、

  • 「なんかおかしい」
  • 「この人、話が通じない」

と”違和感”を感じているなら、
それはあなたが敏感すぎるのではなく、
自分を守る違和感が出ているのだと思います。

『自己正当化という病』は、
その”違和感”に名前を与えて、
あなたを守るための知恵と視点を授けてくれる本です。

この本を読むことで、
誰かに対して優しくなれるかもしれない。
でも、それ以上に大きいのは、
自分に対して、少しだけ優しくなれることだと思いました。

まみ
まみ

「私が悪いの?って思い続けてたけど、この本読んでスッキリしたよ」

うん、その受け止め方でいいと思います。

この本が示しているのは、
正解や結論ではありません。

僕はこのレビューを通して、
もし“病”の事を知らずにいたら、
誰もが『自己正当化という病』になり得るということ。

この事だけは、忘れずに居ようと思っています。

よくある疑問(FAQ)

Q1. 「自己正当化という病」って、人を決めつけるための言葉ですか?

いいえ。この本で使われている「病」という言葉は、
誰かを断罪したり、人格を固定するためのラベルではありません。

「自分が悪いと認められない状態」が、
長く続いてしまうことへの比喩的な表現です。

本書は一貫して、
「性格」ではなく「状態」として捉えています。

Q2. この本は、問題のある人を見抜くためのマニュアルですか?

違います。
見抜いて裁くための本ではありません。

むしろ、
「これ以上、近づくと自分が削られるかもしれない」
というサインに、気づくための本です。

相手を分類する力ではなく、
自分の消耗に気づく感覚を大切にしています。

Q3. 読んでいて「これ、自分のことかも」と思ったらどうすればいいですか?

その気づき自体を、
責める必要はないと思います。

正直に言って、僕自身に当てはまる部分もありました^^

自己正当化は、
誰にでも起こり得る心の防衛反応です。

本書は、
「だからダメだ」と言うのではなく、
そうならずに済む余白を作ることを目指しています。

Q4. 「逃げる」「距離を取る」って、無責任ではありませんか?

本書の立場は、とてもはっきりしています。

「自己正当化という病」の彼らと関わると、とても疲れます。
また、彼らの「自己正当化」と「他責思考」を変えることは非常に難しいことです。

  • だから、
    ”自分を守るために”彼らから距離を取った方がいいですよ。
  • それでもだめなら、
    自分を守るために”彼らから逃げた方がいいですよ。

本書は、あなたが決めていいと言っています。

Q5. ニュースに出てくる人たち全員が、この「病」だと考えるべきですか?

そうではありません。

本書は、
誰かを診断するためのものではありません。

大切なのは、
「今、この人は自己正当化が強く働いている状態かもしれない」
と、観察してみることです。

相手を判定するより先に、自分が消耗していないかを基準に距離を考えるのが安全です。

Q6. この本は、どんな人に向いていますか?

正論を言って、疲れてしまった人。
ニュースを見て、怒るより先に心が重くなる人。
”関わると疲れる人”が周囲にいる人。

そして、常にモヤモヤしている気持ちの、

  • モヤモヤの正体を知りたい人
  • これ以上傷つきたくない人

に、向いている本だと思います。

出典元・参考資料

この記事は、感想や印象だけで書かれたレビューではありません。
本書の内容や背景を、できるだけ信頼できる情報源に沿って整理しました。

ここでは、本文中で参照した信頼できる情報源をまとめておきます。
「これは誰の解釈なのか?」が気になる方は、
この章だけ拾い読みしてもらっても大丈夫です。

■ 書籍情報

■ 著者プロフィール・専門領域

  • 精神科医・精神分析家として、
    攻撃性・自己愛・加害性などを、
    道徳ではなく心の構造から分析してきた専門家。

■ 心理学的背景(防衛機制・合理化)

■ 社会心理学的背景

本文では、これらの情報を読者が安心して考えるための背景知識として使っています。

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この記事をここまで読んでくれた方は、
きっと、生活の中やニュースを見て、
「怒り」よりも先に、違和感や疲れを感じてきた人だと思います。

最後に、
同じようなモヤモヤを、
少しずつ言葉にしてきた記事をご紹介しておきます。

どれも、
答えを押しつける記事ではありません。
「ここで一度、立ち止まっていい」
そう思える内容の記事となっています。

無理に全部読む必要はありません。
気になったものだけで、十分です。

今日の記事が、
あなたの中に残っていた違和感を、
少しだけ軽くできていたら
それでこのレビューは役目を果たしたと思っています。

また、しんどくなったら、
ここに戻ってきてください。

 

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